新卒会社員のブログです。概ね曇りの日に投稿します。

多分ずっと迷っている、気がする

今自分は季節が移り変わる、尊い時間にいること気づくと、嬉しい気持ちと強い不安に襲われる。

 

嬉しいのは気づくことができたから。

幸せの定義とは、気づくことだと思うから。

いっぱい感じることができる自分を感じて。

 

不安を感じるのは、気づいてしまったから。

気づいてしまったが最後、感じることを余儀なくされる。

今火をつけた煙草の味がぼやける。

 

多分、ずっと迷っている。

移り変わりに目を瞑るのか、

今気づいていることを感じることを許すのか、

もう一本火をつけるのか。

 

多分、ずっと迷っている、気がする。

また会いましょう

例年より早い桜の開花宣言

横殴りの風が吹き、あっという間に花見の機会は去っていった。

今はというと、冬に逆戻りしたかのように肌寒い日々が続いている。

 

一年という周期の中で、桜を楽しむことができる時間は言葉通り一瞬で、瞬く間に過ぎていってしまう。

また桜が咲くのは一年後。

 

一年後同じ桜を見れるのだろうか。

否、多分、季節は循環しているようでゆっくりと、しっかりと変容している。

四季だって、暦だって、勝手に人がつけたものだしね。

同じものはもう見れないし、もう一回チャンスがあるなんて嘘なのかも。

 

あの日こうすればよかったとか、しなければよかったとか、救いようもないことを考えながらもやもやプカプカしている。

 

いつぶりかわからないほど時間が空いたけど、今夜じっとりとした邦画をみた。

僕はじっとりとした邦画が大の苦手で、しっかりバッドが入るので、基本的に敬遠している。

それでも苦手なものだってちょっと欲しくなることがある。

脱ぎたての靴下の匂いをかぎたくなる感じ。

 

今日がその日だった。思い立ったらすぐやってみる。

一年で一本くらいは見とかないと、靴下の匂いも忘れてしまうし。

何より僕には日々を忙殺して、考えたくないことから逃げる悪癖があるから。

 

多分、"普通"に生きていくには余計な感傷だし、モラトリアム的な、甘え的なものとも捉えられやすい嗜好品なんだろうけど。

それでもやっぱり忘れたくなかったりするよね。

じっとりした春の夜には、沈めてみるのもいとをかしってね。

 

いつか全部忘れてしまうとしても、思い出せなくなるとしても、それは今すぐの話じゃない。

また、いつかじっとりとした春に会いたいと思える日が来るまで、しばらくの間、さようなら。

 

ニートから学ぶ

僕は現在、転職活動中である。

言ってみれば無職。

実家でニートである。

 

存在意義を主張するために家事をやっているが、それでも暇な時間はある。

 

そこで気づいたのだが、

「暇な時間は人を悩ませる」

 

人は人である前に一生物なので、あれこれと危険を察知しようとする。

そう、本能的に人はネガティヴなのだ。

 

そんなネガティブな猿に時間を与えると、起こす行動は一つ。

悩む。

悩むために悩む。

 

ここから得られる教訓は、悩まないように行動する、ではない。

 

「暇な時間に考えることの殆どは、本能的なネガティブ思考によるもの」だと認識することだ。

 

今暇だからこんなこと考えてしまっている、と自覚すること。

これで負の連鎖に溺れて、自分に酔う現象から脱することができる。

 

俗に言う「病む」という現象は、これで解決できる。

 

これで親という生き物がクソ忙しくても、気が落ち込んだりしないのか、説明がつく。

悩んでいる暇がない。

悩んでいる暇がないと気づく暇がない。

 

でもこれが幸せだったりするのだろう。

足りないことが幸せなら、余分な時間は不幸せといえよう。

 

 

 

しかし転職活動が終わるまでは、暇な時間があるので、どうしても「悩む」「病む」からは逃れられない。

僕は振り切って病んでしまうつもりだ。

ありもしない不安や、自分の力の及ばないこと、何の役にも立たない葛藤。

 

僕は振り幅のある人間が魅力的だと考えているので、ここで下に振っておきます。

 

どれだけ気持ち悪く病んでいても、僕

だ。

 

近すぎる夢、触れない壁

僕は邦画(ヒューマンドラマ、以降同義として扱います)が苦手だ。

理由はシンプル、共感性。

「あ、僕もそうだ」となってしまうから。

勿論全部が全部って訳じゃないけど、痛いとこどつかれる感じ。

 

洋画がそうでない理由としては、言葉のニュアンスだったり、表情だったりが、「いい意味で」共感の妨げになっているからだ。

 

視覚情報に頼らない点で、小説に似ている。

字幕派なので余計。

想像しながらなので、共感まで一枚の壁がある。

 

一方邦画は壁なんてものは存在せず、裸でそこに立っている。

本日4本みた。

人に合わないムーブだったので、沈むところまで沈もう大作戦である。

 

そう、嫌いなら見なくて良い、と思う方もいるだろう。

勿論普段は陽気な映画をみている。

それでも感傷に浸りたいのが、若者ってもので。

浮世離れしすぎていない世界に憧れがあるからだろう。

叶えられそうな世界に逃げ込みたいものなのだ。

 

リアルを描いている映像作品に現実逃避なんて矛盾も甚だしいが。

 

少なくともこの手の映画を好む人間の中に、バリバリの経営者だったり、イケイケの方々は含まれないだろう。

なぜなら彼らは作中でいい描かれ方はしないからだ。

むしろ敵として演出され、まるで優劣をひっくり返すような表現をする。

 

そもそもこの手の映画のターゲットが僕らのような「自分を特別だと思っている人」だから。

 

これだけ一気にみると改めてこの一貫性を痛感する。

 

誰かのせいにしたくなるし、煙草も増える。

しかしそれと同時に得られるものだってある。

 

かなり評論家目線で傲慢に語っているが、

製作した方々には頭が上がらない。

まじですごいです。

 

ただ「明日からお仕事頑張ろ〜!!!」とはならないよね!って話でした!

 

生きてるだけでえらい!

絶対

この世で「絶対」と言い切ることの出来ることは、いくつ存在するだろうか。

明日「絶対」雨が降るらしい。
自然の現象を絶対と言い切ることに、違和感がある。

それは台風が来ていて、影響がないことはまずなく、多かれ少なかれ雨が降ることは容易に想像出来る。

下手したら天気予報を見ていない人でも、今日の夕方の気温の上がり方で、明日の雨を予測できるかもしれない。

 

だが。

 

それでも100%に気持ち悪さがある。

 

雨如きでそんな大層な、と思うかもしれない。

 

雨だって自分に影響を与える要因の一つだ。

明日絶対雨が降ると思って入る布団は意味合いが変わってくる。

 

 

相対性理論は皆様ご存知のことだろう。

絶対的な時間が単独で存在しているわけでなく、重力や速さに影響される、と言った具合。

 

森羅万象の中でも高次元に位置する「時間」ですら、絶対的な存在ではないのだ。

 

にも関わらず、明日の雨を絶対と言い切っている。

 

論理が破綻しているのはわかる。

それでも気持ち悪い。

 

100%と言われると、そうでない結果を望んでしまう。

変容の可能性を孕んでいない事象が怖い。

 

シュタゲを見たので、僕はマッドサイエンティストです。

 

金曜日に雨降んないで欲しいだけです。

煙草変える

また値上げする煙草。

僕は500円以下で吸いたい乞食なので、今より安い煙草に変えます。

高額納税者の諸君、身を削りすぎないようにな。

 

話は変わります。

ここ1週間在宅勤務をしたのですが、小生切り替えがうまく出来ず、心があれになっていました。

 

この週末大好きな人に会いました。

笑顔が一番泣けるのは本当です

 

優しさが垣間見れる度、幸せを噛み締めます。

 

気持ち悪いのであまり言いたくないですが、眠れないので、綴らせてください。

 

来週お盆帰省する予定です。

世間はあれで大騒ぎですが、好きな人に会えない方が、致命的です。

 

好きな人に会えること、一緒にガハガハ出来ること、

これが欠落した時間なんて要りません。

 

色んなリスクがあります。

大人なんだから考えろとか、我慢しろとか、ご意見あると思います。

 

勿論怖いですが、大好きな人と笑うことができないまま老いていく方がよっぽど怖い。

 

会わないことに慣れたり、コロナを言い訳にすることに慣れたりすることの方が怖い。

 

 

本気で大好きな人に会いに行きます。

 

それでも感謝してるぜ。

こんな状況じゃなきゃ、ここまで本気で帰省しないから。

家族好きなんよ

 

 

ごめん、酔っているから思想強いワ

 

不快な思いをさせたらごめんなさい。

 

 

大好きな人ごめんなさい、独りよがりな僕です。

それでも、僕。

リップヴァンウィンクルの花嫁

をみた。

 

邦画をみてイイオモイをした経験が少ないので、敬遠していた。

案の定「明日も頑張っていきるぞ」とはならなかった。そもそもそんな期待もしてない。

 

約3時間に及ぶ、比較的長い映画だから、

最後まで見れただけで満足まである。

 

 

 

登場人物に自分を重ねるのが、物語に集中する術だと心得ている。

 

自分事にしないと、つまらない。

 

共感を呼ぶ作品が「売れる」ことはここに起因するのだろう。

 

 

僕が邦画が苦手な理由はここ。

 

吐き気とたたかいながら、映画をみるのは気が引ける。

 

 

現実に近い虚構。

違和感がない違和感。

 

 

作家はこの世を逸脱した者、と言われる所以だろう。

 

視点が異なる、というよりは、

現実をみつめる力、書き起こそう、世に起こそうとする力。

 

こいつがすごい。

 

 

今自分が東京に住んでいる違和感に、

今自分が当たり前のように煙草を吸っている違和感に、

気づかされる。

 

今はただ、

ただひたすらに、

両の手のひらを合わせて、

 

今夜一人眠る違和感、

朝起きて顔を洗う違和感、

 

その他諸々気持ち悪い事象に

疑念を抱かないことを

 

願う。