中
四季という言葉があるように、この国には4つの季節がある。
その変わり目には、いつも嫌な風が吹く。
僕の好きな本が「風の歌を聴け」であるように、はっぴいえんどが「風をあつめて」いるように、風には不思議な力がある。
今日はいかにも初夏らしい気候だが、どうも夏になりきれていない。たまに春のにおいがしたり、それでも夏の湿気が頬を撫でたり、中途半端だ。
中国人は足音を立てずに歩くように育てられるらしい。しかし多くの事象は足音がある。
それが愛おしい。
なにか終着点を迎えるとき、ひと段落ついたとき、その背中には足跡がある。
過程こそ、この森羅万象の美点だ。
その物語こそ、順番こそに心を惹かれる。
季節の変わり目の嫌な風は、その過程だ。
しかし、読書諸君は僕が「嫌な」という言葉をわざわざ使っていることに違和感を感じるだろう。
それは「美点」と「嫌な」の一致に違和感を持つのは当然だ。
だが、
「美しい」は良し悪しの意味を孕んでいない。
良いものも悪いものも、美しいものは美しい。
「嫌な」ものでも美しいと感じることは多かれ少なかれ経験があるだろう。
例えば「死」だ。
普遍的な例えだからわかりやすい。
死ぬのは嫌だけど、その死顔は美しい。
安らかで清らか。
他にも「嫌な美」はいっぱいあるよ。
季節の変わり目の嫌な風が愛おしい。
此方の顔色を伺いながら、忍び足でやってくる。
嫌な奴ほど気になる。
中途半端なものが大好きだ。