新卒会社員のブログです。概ね曇りの日に投稿します。

春は死の季節

僕の唯一嫌いな季節、春を思わせる風が吹いた。

腰がふわっと浮くような、落ち着かない気持ちを懐かしむ。

 

このままどこかへ消えてしまいたいし、家には帰りたくない。

食欲も失せて、いつもよりヤニクラがきつい。

とろんとアスファルトに寝転んでしまいたい。

 

 

 

春になれば、学生は進学、社会人に。

変化に富む春は、「今まで」が沢山死ぬ。

 

 

僕が死ぬときは多分春。

 

 

そして、今年はより一層の変化がある。

 

高円寺に住みます。

学生時代何度も遊びにいった、憧れの町です。

すごく楽しみです。

遊びにきてね。

 

横浜には本当にお世話になりましたね。

まじで第二の故郷だし、色んな僕が生まれた場所です。

落ち着いたら遊びにいきます。

 

 

今までの生活を殺して、新しい生活が始まります。

春が来るたび、一皮剥ければ、夏の暑さにも耐えられるよ。

 

悲報を受けて

やば!えむれな別れたの?!

何を隠そうこの僕は、圧倒的な捻くれ方をしながら密かに彼らの視聴者であったのだ!!

 

何が好きとかじゃなく、面白かったので!

 

偏見が先行しがちな僕を変えてくれたコンテンツのひとつでもあります。

 

いや、、

先のことなんか誰もわからないと言いますが、本当にそうですね。

というか一寸先は闇ですね。

 

まあでも、現状が光の中ならって話で、

もし闇の中にいるのだとしたら、「一寸先は光」です。

 

なにが起こるかわからないってのは、なにが起こっても不自然じゃないってこと。

 

悪いことだけじゃないかもね、、、

いやでもこの件は闇ですよね、、、

 

 

 

なんかさ、「コロナ別れ」に対して、

隠れてたものがコロナで露見しただけ、

とか言うお方がいますけど、

僕はそんなことないと思います。

 

えむれながそうかはわかりませんが!

 

人間は一つの地球に生きている以上、

環境的な影響から逃れられません。

他人のせいにするなと言われればそれまでですが、2人だけの問題ってわけでもない。

 

もーーうるさーい!!!

 

もう何が言いたいって、

僕の好きなものがまた一つなくなった、、、

 

こんなふうに一個ずつ手の届かないところへ行ってしまうなら、

なんて寂しいのでしょう、、、

 

どうか僕をひとりにしないでおくれ、、、

 

悲しくなる

朝、目が覚めて充電し忘れた携帯のホーム画面を見る。

 

失ってから初めて気づくって言葉があるけど、これは優しい言い方だよね。

甘えるな、と先人たちは言いたいのでしょう。

 

親しい人を失うことを想像すると人は優しくなれるのだろうか。

 

優しいの定義は曖昧だけど、

「自分にとって都合が良いことをされる」と優しいと感じるならば、

自分がそれを与えてあげればいいだけの話で、定義とかは別にいらない。

 

僕が思うに、優しいってのはその人のためにどれだけ本気になれるかってことです。

だから、怒るという行為こそが最も優しい。

 

怒るというより叱るに近い。

両者とも「別にやりたくない」し、「めっちゃ疲れる」し、「嫌われるかもしれない」のだ。

 

それを進んでしてくれる人が身近にいるのなら、そいつはお前のことがめっちゃ好きだ。

 

朝っぱらから重たいですね。

 

なぜこんな胃もたれ文章を書いたのかと言うと、

悲しくなったからだ。

 

失われる恐れのないものなんてない。

でも全部に本気で向き合っていたら、どうにかなってしまう。

なにを選ぶかより、なにを捨てるか、等閑にするか。

 

最後に、捨てることが苦手な方に助言です。

好きにもレベルがあるはずです。

最高の好きレベルで満たされたくね?

 

中途半端な好きは、本当に好きなものを傷つけます。

 

アブナイよ!

暗い街

緊急事態宣言という名の夜遊び厳禁は、僕ら人類から青春を奪った。

今更ではあるが、禁止されている行為、いわゆる三密は青春そのものだ。

 

いつぞやの欧米では禁酒を掲げられていたが、それは逆効果で、酒造業は衰退しなかったどころか、だいぶ儲かったらしい。

Moonshine、密造酒ってやつだ。

 

僕が言いたいのは、僕らの青春は違う所に移動することもなければ、衰退もしないってこと。

ただ密かに育まれる。抑制など出来やしない。

 

自粛警察と呼ばれる意識高い系たちは、僕らの青春に嫉妬しているだけである。

これは誤解もクソもない。

揺るぎもない事実である。

反論は一切受け付けない。

 

結局のところ、僕を含む多くの人間が世論と手を繋いで歩いていくため、上記のような「過激派」は頭を出せずにいる。

 

でもそれでいい。

欲に抗えなくなった順でいい。

誰か先導してくれるのを待てばいい。

 

そんな風に日本は後手に回ってきた。

いつか誰かが何かやってくれる。

 

 

いつだって僻み、妬むのが、人類の常。

この暗い街では、煙草の灯りだけが頼りだ。

 

(かっこいい!)

 

面白いとつまらないは対義していない

あけおめ、ことよろ。

 

突然ですが、

 

たらればでつまらない話をする奴の顔は大抵つまらない。

顔がつまらないってのは、性的魅力を感じないってことです。

僕は男ですが、同性をみてこいつカッコイイなと思うことがしばしばあります。

彼らに共通するのは、たらればでつまらない話をしないことです。

 

これを前提に、たらればでつまらない話をしようと思います。

その前に言っておきますが、僕の顔はそこまでつまらなくないと思います。一応言わせて下さい。

 

 

「もしあなたに出会えていなかったら」

 

とかいう実につまらないたらればで話をします。

 

つまらない理由を挙げればキリがありません。

過去の行動を限定することはできないから、「あなた」から受けた影響を言語化することは困難だから、

沢山あります。

だから省略。

 

「もしあなたに出会えていなかったら」

僕は今の僕とどう違うのでしょうか。

あなたは口が悪くならなかったのでしょうか。

僕は自分の嫌いなところに気づなかったのでしょうか。

眠るときに布団を抱きしめることもなかったのでしょうか。

 

 

これらは検証しようがありませんので、想像するしかないですね。

 

ふふ。

僕は根がクソ真面目で、救いようのないロマンチストなので、くそポエムをタラタラやっちまいたいところですが、やめておきましょう。

 

新年早々熱苦しいのは、僕も心苦しいものがありあります。

三日とろろ食ったばっかだしね。

 

そう。

今長めに帰省しているのですが、なんというか快適を通り越して、理解不能です。

永遠にお腹に食べ物が入っていますし、眠剤入れられてるのかしらないけどいくらでも寝れる。

 

 

人は満たされていると、なにも生み出せないんですよ、、、

このままダメにされちゃうかも、、、

 

 

本当

本当ってなんだかわからなくなった人用に残しておきます。

 

僕は仏教観による物の捉え方がすごく好きです。

簡単に言えば、「拘らないことに拘る」ってやつ。

まあ最後に「拘る」っていう点で矛盾するんだけど、所謂、諸行無常とか諸法無我、縁起ってやつです。

この世に永遠はなくって、ただそこにあるものがあって、その関わりの中であり続ける。

 

冒頭の「本当」の話です。

よく「自分探しの旅」とか「本当の自分」とか「本当気持ち」とか言いますけど、

そういうのやめて!!

「今ここにいる自分」が本当だよ!!

って言いたいです。

 

予想される反論は、

「昔はもっと自分らしかった」とか「いや今は自分を見失っている」とかです。

 

その場合、あなたは「昔はもっと自分らしかったと思っている人」で、「自分を見失っていると思っている人」です。

 

今の自分を見ずに、本当なんて見えやしません。自分を過大視してます。きもいです。

 

もっと言えば、本当なんかに拘る時点でキモい。

スマホ弄っていることのなにが不満なのかい。不満なら好きな人に電話すりゃいい。

 

いつでも自分の今さえ見てあげれば、大丈夫です。変にインドとかいくな。キモいから。

 

 

でもインドは行ってみたいな。

 

 

 

 

最後に、父に恋愛相談した話をします。

僕はあんまり父が得意じゃなくて、腹を割って話すことが多くありません。

女の話なんか初めてしました。

 

結果、父はやはり的を得てきました。

今まで「その結論」を沢山の人に言われてきましたが、父に言われると話が違います。

バイトの休憩中だったんですけど、目から汗が止まりませんでした。

煙草もびちゃびちゃになっちゃってまじで

「大丈夫か!!?!?!^_^!?!」って感じです。

「何を言うか」じゃなくて「誰に言われるか」って言いますけど、今日ほどそれを痛感した日はないです。

 

今まで蓋をしていた気持ちだったので尚更ですね。

 

 

以上です。

つーかさ

自分がなりたい人になって、どうにかなっていることが想像出来ても、それが他人なら別の話だ。

ここでの他人の定義は、自分以外の全ての人だ。

 

よく人の立場に立って、とか、相手の気持ちを考えてとか言われるけども、

それは所詮自分が相手の立場になっただけで、根本的には何も変わらない。

こんなんは聞き飽きたか。

 

なにが言いたいって、人は人の良かれと思うことしかできない。

幸せにするってことは、自分のそれを押し付けること。

だとしたらこの世は押し付け合いパーティーっれことっすね。

 

 

冒頭戻る。

自分の幸せは実現可能だ。

自分がしたいようにすればいい。

どうにかなってれば大体幸せだ。

 

しかし、他人はそうもいかない。

相手が求めてなかったらお節介だし、ミスったらうざいだけっしょー。

 

まあこれを文章にするのにも訳があってですね。

 

人を応援する経験って、僕あんまりなかった。

いつも応援される側で、期待をかけられて、応えることに注力してた。

だからやる側の気持ちしか知らなかった。

 

どれだけ干渉すべきか、優しくすべきか、それともいつも通りがいいのか。

 

なんかもうわからなすぎて、自分もよくわかんないことになってた。

 

まあこんなしっかり悩んでいると、良からぬ方向に行ってしまう気がする、、、

 

 

最後に、僕の大好きなアイアンマンの話をします。

アイアンマンってめちゃくちゃ強いけど、中身は生身の人間です。

頭使って装備を強くしていきます。

まるで人間の知識欲や、出世欲の権化のよう。

 

自らの弱さを知るたびに、知識に縋り、それを身に纏って強くなって、強くなった気になる。

 

最終的に彼は偉大な死を遂げるけど、それも見栄を張り続けた結果だろう。

 

こんな言い方だと、本当に好きなのか?!?!

と言われそうなので改めて言っておく。

 

アイアンマンだいすき!!!

 

というのも見栄を張ることってかっこいいじゃんね。

格好良いやつらは格好つけてっから格好いいんだってよ。

 

しっかり格好つけろよ!見栄張れよ!今度奢れよ!じゃあな!